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Special Talk 特別対談 | 女子車いすバスケットボール選手 網本 麻里 氏×アズビル株式会社 取締役 代表執行役社長 山本 清博 | SPECIAL | with azbil

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あくなきチャレンジの実践こそが
Well-being実現に向けた道を拓く

人々の生活の豊かさや、心や身体が快適で健康な状態であることの指標として、今「Well-being」という概念が注目されています。右足に不自由を抱えながらも持ち前のチャレンジ精神によって様々な困難を克服し活躍を続ける、女子車いすバスケットボールチーム「カクテル」所属の日本代表強化指定選手 網本麻里氏と、ビジネスの持続的な成長を軸に社会と社員のWell-beingの実現を目指すアズビル株式会社の取締役 代表執行役社長 山本清博が語り合いました。

国内だけでなく海外にも広く活躍の場を広げる

山本パリ2024パラリンピック競技大会での網本選手はじめ日本チームの戦いぶりをテレビで観戦させていただきましたが、体格面で優位な海外選手との間で繰り広げられる試合は本当に激しいものでしたね。

網本東京2020パラリンピック競技大会のときは開催国枠もあって、車いすバスケットボールは、女子は10カ国、男子は12カ国の間で競われました。一方、パリ大会では女子、男子ともに8カ国となり、結果、強豪国のみが参加する大会となりました。そうした中で、私たち女子車いすバスケットボールチームは1勝を挙げ、7位という結果となりました。実は、パリ大会の日本のバスケットボール競技全体で唯一勝ち星を挙げたのは私たちのチームだけでした。男子車いすバスケットボールチームはパリ大会の出場がかなわず、東京オリンピック2020で銀メダルを獲得した女子バスケットボールチームや、男子バスケットボールチームも、連続出場は果たしたものの一勝もできずに終わったのです。バスケットボールチームとしては唯一の勝ち星を挙げたことに大きな誇りを感じました。いつもパラリンピックの最終試合は負けていましたが、パリ大会では初めて勝って締めくくることができたので、2028年開催のロサンゼルスパラリンピックでのメダル獲得に向けた手応えを感じることができました。

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網本麻里選手 Instagram
網本選手の日々の生活や活動の様子をご覧いただけます


山本そのパリ大会での活躍をきっかけに、フランスのチームから声がかかり、2025年1月からは、そちらでプレーすると聞きました。単身でフランスに渡ることについて、迷いなどはありませんでしたか。

網本私自身、これまでオーストラリアを皮切りに、ドイツやスペインといった海外のチームに所属してプレーしてきたという経緯があります。いずれも先方から声をかけていただいたのですが、私は自分にしか乗り越えられない壁がやってくると思っていますので、それが成長のチャンスだと感じたら迷うことなくオファーに対して「Yes」と答えています。巡ってきたチャンスに「No」と答えてしまうと、同じチャンスが再び巡ってくるとは限らないという思いが強くあります。もちろんそれは、バスケットボールが大好きで、常に、よりうまくなりたいという思いがあってのことです。

障がいのない人も参加することができるパラスポーツ

山本2023年に、アズビルが協賛しているプロバスケットボールチーム、湘南ユナイテッドBCが開催するイベントで初めて網本選手にお会いしましたが、そのときに驚いたのは、試合が終わりコートから出たら、すたすたと歩いていたことです。車いすバスケットボールの選手は、日常生活も車いすに乗っているとばかり思っていましたが、必ずしもそうではないのですね。

網本はい。2018年7月からは障がいのない人も、車いすバスケットボール選手として登録できるようになりました。現在では車いすバスケットボールのクラブチーム日本一を決める天皇杯や皇后杯をはじめ、国内すべての試合に出場が可能となっています。
車いすバスケットボールのルールでは、選手一人ひとりに障がいの程度や身体機能の高低に応じて1.0~4.5点の持ち点が与えられます。障がいの程度が重いほど持ち点は低く、軽くなるほど高く設定されていて、例えばごく軽度の障がいがある選手や障がいのない人の持ち点は4.5ということになります。コート上でプレーする5人の選手の持ち点の合計が14点以内と定められていて、障がいの軽い選手だけではなく、様々な障がいの程度の選手をうまく組み合わせることが戦術的に求められます。またこのルールによって、障がいの重い選手も軽い選手も試合に出場するチャンスが公平に与えられることになります。

2024年2月、湘南ユナイテッドBCのイベントで、山本は初めて競技用の車いすを体験

2024年2月、湘南ユナイテッドBCのイベントで、
山本は初めて競技用の車いすを体験

度重なるチャレンジで右足の障がいに打ち勝つ

山本網本さんご自身は、なぜ車いすバスケットボールにかかわるようになったのですか。

網本私は、生まれつき右足首の骨が内側に変形している内反足という障がいを抱えていましたが、生後10カ月のときに手術をして日常生活に支障なく歩けるようにはなりました。当時、両親は障がいのない人と同じように生活させたいと考えてくれており、やりたいことをさせてくれました。私が2歳のときにオリンピック選手も輩出しているクラブで器械体操を始め、その後、小学3年からは友達に誘われてミニバスケットボールを始めました。それが私のバスケットボール人生のスタートです。授業のある日は放課後、授業のない土日には朝の9時から夜の9時まで練習するほどバスケットボールにのめり込んでいました。
中学2年のときはチームのキャプテンを務め、地区選抜チームにも選出されました。しかし同年の夏、ある程度身体が成長したタイミングで受けることになっていた右足の骨を切る手術を再度受けることになったのです。術後2カ月くらいでギプスはとれたのですが、地面に右足をつけることを医師から禁止され、半年間ほど松葉づえをついて生活しました。中学3年の引退試合には2分間だけ出場させてもらったのですが、全力で走ることもままならない状態でした。

山本それで、車いすバスケットボールのプレーヤーとしての道を模索されたのですか。

網本はい。車いすバスケットボールについては、小学5年のときに、母親と一緒に大阪市長居(ながい)障がい者スポーツセンターへ観に行ったことがありました。もちろん当時は自身の足でミニバスケットボールをしていたので、さほど関心はありませんでした。しかし先ほどの中学3年の引退試合で、このまま続けるのは困難だと分かり、高校1年になって、当時募集していたオーストラリア車いすバスケットボールキャンプへの参加を希望したところ、行かせてもらうことができました。オーストラリアやアメリカの同年代の選手たちとプレーするうちに車いすバスケットボールの面白さが増してきて、通訳の人から「『日本代表』になれば、もっといろんな国の人たちと一緒にやれるよ」という助言もあり、本格的に車いすバスケットボールでやっていくことを決断したのです。帰国後、現在の所属チームである「カクテル」に入団しました。ちょうど「日本代表」の世代交代の時期でもあり、幸運にも16歳で日本代表強化指定選手に選んでもらえました。

山本以来、「日本代表」を続ける一方で、カクテル以外にも男子チームである伊丹スーパーフェニックスや、先ほどおっしゃったオーストラリアやドイツ、スペインのチームにも在籍して活躍されてきたというわけですね。そうした意味で網本選手は、自分がやりたいことが何か、どうしたら達成できるのかを常に考えて実践することで、自ら道を切り拓いてきたといえますね。

網本ただ一度、パリのパラリンピックが終わって帰国後に、燃え尽き症候群のような、これまでになかった感覚に襲われました。具体的には、バスケットボールは変わらず好きでやりたいとは思うのですが、どうしても身体がついていかない。まるで心と身体が乖離(かいり)したような状態になってしまったのです。これ以上練習を続けるとメンタルが崩壊しそうだと。そこで、あえて休むという決断をし、パリ大会後1カ月半くらいは、まったく練習しませんでした。2028年のロサンゼルス大会に向けて引き続き日本代表強化指定選手として続けていくには、さらなる飛躍のために、一旦休息を取ることも必要だと考えたのです。そして12月の皇后杯が近づいてきたタイミングで少しずつ練習を再開しました。すると練習が楽しく感じられ、ようやく元の自分に再会できたような気がしました。結果、皇后杯では史上初の9連覇を達成できました。やはり大切なのは心と身体がともに元気な状態にあることだと身をもって痛感しました。

山本網本選手がおっしゃっていることは、現代社会において重要なメッセージだと思います。これまで想定していなかった出来事がいろいろ起こっており、社会もずっと緊張状態にあるといえます。そうした中で、心や身体が快適で健康な状態、いわゆるWell-beingを考えることは重要で、様々な問題の解決のヒントになると思います。

ビジネスの持続的成長を軸にWell-being実現を目指す

網本Well-beingといえば、最近、アズビルでも非常に大切なキーワードになっていると伺いました。

山本Well-beingとは、WHO(世界保健機構)で“すべてが満たされた状態かつ継続性のある幸福”と定義されていて、一般的には“幸福+健康”である状態のことを指します。azbilグループでは、行動指針の中で「ステークホルダーとの長期にわたるパートナーシップの構築」を掲げ、「私たちは、『グループで働く人々の幸福』を土台に、常に現場において『お客さまの幸福』を追求し、達成感を共有します」という方針を示し、ビジネスにおける持続的成長を基軸とした、Well-beingの実現を目指しています。この行動指針に基づき、若手から中堅、ベテランまでの多くの社員が、幅広くいろんなことにチャレンジし、それぞれの働きがいをもって仕事に取り組んでもらえるような環境を作りたいと考え、様々な取組みを推進しているところです。

社員のアイディアで設置された藤沢テクノセンター内のライブラリーにて

社員のアイディアで設置された藤沢テクノセンター内のライブラリーにて


網本そうした施策が功を奏しているのでしょうか、御社の社員の皆さんは、非常に明るく、会社に対しても、またお客さまなど外部の方々に対しても、思いやりのある方が多いという印象です。

山本ありがとうございます。私自身は「行動と体感」というキーワードを大切にしています。具体的には社員に向けて、日々の業務の中でしっかりと「行動」すること、そしてその行動から得られた「体感」を次の仕事に活かしていくことが大切であると伝えています。また、カーボンニュートラルの達成など、今社内で展開している様々な施策に対する社員からの提案も積極的に受けられる体制の構築にも努めています。
2025年4月13日から開催される大阪・関西万博では、そのテーマとして“いのち輝く未来社会のデザイン”を掲げていますが、azbilグループでは「テーマウィーク」への協賛を通じて、我々が目指す未来を全世界の皆さんに紹介する素晴らしい機会になると考えています。まさにWell-beingを推進していく場として、特に若手の社員の意見を取り入れたいと考えており、若手中心のメンバーで現在、鋭意準備を進めているところです。

競技人口、チームの減少が今後に向けての課題

山本今後に向けて、車いすバスケットボール、あるいはパラスポーツ全体について、今課題に感じていることはありますか。

網本車いすバスケットボールについて言えば、特に女子は、競技人口の減少、そして高齢化の進行が非常に差し迫った課題になっていると思います。私がこの競技を始めた20年くらい前は、女子だけでも少なくとも登録選手が100人以上はいたと記憶しています。女子の選手権である皇后杯も、多いときには8~9チームが出ていました。それが今では、登録選手数は70人程度、皇后杯には6チームしか出ていません。合同で出るチームもあれば、やむなく休部状態となるチームもあります。女性の場合、結婚、出産を経て、復帰することなくそのまま競技から引退するケースも少なくありません。競技人口が減ると、チームや選手が互いに切磋琢磨して力を高めていくことが困難になってしまいます。
こうした課題については、競技の裾野を広げていくことが重要だと考えます。特に車いすバスケットボールは、最も参加しやすいスポーツの一つだと思いますので、例えば企業研修やレクリエーションに取り入れていただくというのも有効な方策になるかと思います。企業の皆さんにとっても、チーム競技を通して、より良いコミュニケーションやチームワークを育むことに寄与するものと思います。

山本アズビルは、例えばプロサッカークラブの湘南ベルマーレやプロバスケットボールチームの湘南ユナイテッドBCに協賛するなど、これまでも地域密着型でスポーツ文化の醸成に貢献してきました。また障がい者雇用の観点では、特例子会社であるアズビル山武フレンドリー株式会社を設立して、25年以上にわたり運営してきたという経験もあります。パラスポーツについても、その発展を支援できるような様々な取組みを検討していければと考えています。

網本ぜひよろしくお願いします。期待しています。

女子車いすバスケットボール選手 カクテル 網本 麻里 氏

心と身体がともに元気であることが重要
次なる飛躍に向けて休むことも必要

女子車いすバスケットボール選手
カクテル

網本 麻里氏

アズビル株式会社 取締役 代表執行役社長 山本 清博

ビジネスの持続的成長を軸に
社会と社員のWell-beingを目指す

アズビル株式会社
取締役
代表執行役社長

山本 清博