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巻頭言:革新的技術への社会の適応

野部 達夫
Tatsuo Nobe
工学院大学教授,一般社団法人建築設備技術者協会会長
Professor of Kogakuin University, President of JABMEE

現在は革新的な情報通信技術によって社会のパラダイムが大きく変わる変曲点なのかもしれない。この巻頭言ではそのような変化の渦中において,革新的技術と社会の適応について考察してみる。

先般,東京の国立科学博物館で「日本を変えた千の技術展」という興味深い特別展が開催された。幕末以降の西欧の科学技術の受容および発展の様子を多くの実物展示によって概観するものだった。一般の通念では封建制度の暗黒時代は幕末以降の西欧文化の怒濤によって一変したというところだろうが,展示の冒頭で幕末の寺子屋(関東では手習師匠)では既に「窮理」を庶民の子弟に教えていたことが示されていた。窮理とは当時の科学技術を支えた物理学や天文学などを指すが,塚原渋柿園という文学者が残した著書によると,安政年間には既に天体の運動については子供でも知っており,黒船にもさして動転しなかったという。塚原の言葉によると,これは文禄期以来の旺盛な日本語への翻訳意欲と木版による出版技術という下地があったためで,一般庶民まで読み書き算盤ができるという厚い文化的中間層が出現していた。このような布石があったために,幕末からの急激な新知識の奔流にも日本の社会は何とか対応できたのではないかと考える。

このようなパラダイムシフトへの適応は,皇国史観から米国流民主主義へと体制が一変した昭和にも見ることができる。正史に現れる価値観は従来とは正反対になったものの,多くの個人にとっては戦前と戦後は決して不連続ではなかったことが様々な記録に描かれている。風土が人を作り人が社会を作るという関係性を考えれば,納得できる。

「技術」という言葉への省察が度々必要になるとハイデッガーは言う。しかし同時に,危機を訴える叫びは次第に沈黙しがちになるとも言う。ロンドンの科学博物館には,かつてキボキアン氏が製作した自殺幇助機「タナトロン」の展示がある。これは殺人か自殺かという法的に大きな差異をテクノロジーによって曖昧にする装置だが,観覧する老若男女は衝撃を受けながらも科学技術の派生形を目の当たりにし,深く考える風情である。再びハイデッガーの箴言であるが,技術を中立なものと見るとき我々は盲目的になると。多くの人々は,とりわけ技術者は,テクノロジーは明るい未来を導く善なるものと認識するが,理想とする社会の大局観とテクノロジーを制御する自制心がなければ,恐ろしい結果をもたらす。これは人間の感覚を超えた大規模破壊兵器で人類は学習しているはずだが,今回の情報化社会へのパラダイムシフトはそれ以上のインパクトが予想されるものの,理解がおよんでいない。

交通や物流の高速化や都市の高密度化は「程度の問題」であり,社会の順応は不可能ではなかった。ところが,長年DNAに刷り込まれてきた全てが質量や慣性力を持つ世界から,厖大な情報が飛び交い価値観が瞬時に生成されてしまう世界への一足飛びの変化は,全く未経験である。情報化社会への大きなシフトに対して,果たして現代人はそれに適応する下地を持ち合わせているだろうか。幕末と昭和の大きなギャップを乗り越えてきた日本人は,否,今や日本だけでなく一蓮托生の世界の人々においても,今回のシフトを無事に乗り切る素養の構築を真剣に考える必要がある。

我々が望む未来とは何か。それは人生の喜怒哀楽から喜と楽だけを抽出した平板で欺瞞的な社会であろうはずがない。地球環境よりも人間社会の洞察なくして次のパラダイムをかたちづくるテクノロジーの創造はあり得ない。

著者紹介:
1983年早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻修士課程修了。清水建設株式会社入社(~2001)。 1989年早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻博士課程修了。2001年工学院大学工学部建築学科環境コース助教授に着任。2004年同教授。2010年工学院大学建築学部建築学科教授,現在に至る。専門は次世代空調システムの研究開発,空調設計論,技術評論。
一般財団法人日本空調冷凍研究所理事長,一般社団法人建築設備技術者協会会長, ほかを歴任。
エンジニアリング功労者賞,公益社団法人空気調和・衛生工学会/学会賞技術賞,リニューアル賞,学会賞論文賞,功績賞, 一般社団法人建築設備技術者協会/カーボンニュートラル賞等を受賞。

この記事は、技術報告書「azbil Technical Review」の2019年04月に掲載されたものです。