巻頭言:期待

高橋 桂子
Keiko Takahashi
早稲田大学総合研究機構
上級研究員・研究院教授
Senior Researcher・Professor, Global Consolidated Research Institute for Science Wisdom, Waseda University

数年間の世界的なコロナ禍をなんとか乗り越え,明るい未来に歩みだす矢先に新たな戦争が始まり,それに伴う世界情勢の激変は現在も混迷を増しています。経済,産業,安全保障など我が国のみならず世界全体に関わるエネルギー,食糧,流通,サプライチェーンそして物価高騰などなどの課題は,ほんの数年前までの「全地球的な平和の実現が可能であり,そのために和平の努力が積み上げられている」と多くの人々が想定していた状況とは全く異なる形相になってしまいました。

科学技術立国として成り立たなければ将来は見通せないということが声高に叫ばれた時期は,既に50年ほど前となりました。また,10年ほど前には「モノづくり」復興の重要性が様々な場面で叫ばれましたが,最近では聞く機会は少なくなりました。しかしながら,資源が極めて少ない我が国が継続的に発展するためには,全世界的な協調と平和が必須の条件であるとともに,我が国が科学技術立国である必要があり,モノづくりが極めて重要であるという事実は,過去も,今も,これからも何ら変わることはないと考えます。

科学技術はモノづくりに直結しますが,我が国では「モノ」はハードを指向する場合が多く,データや情報の利用や仕組み・システム創りまでを指す場面が少ないことは残念です。「データや情報に準拠して,仕組みを識り,システムを創造する」という考え方は,欧米諸国の科学技術の成り立ちに深く根ざしています。このような背景は,科学技術が流行り廃りに翻弄されず裾野の広さをもって堅持され,人財が維持され,例えば第1次,2次を経て第3次AIブームへの急速な発展に寄与しているものと考えます。現在,我が国はこの分野において後塵を拝していますが,先行発展に対する洞察から,我が国の特性を活かした新たな仕組みやシステムを創造するチャンスを獲得できるかどうか,新たな段階への展開を大いに期待しているところです。

一方,科学技術の発展が有限な地球環境と切り離せないことも,これまでに得られた科学的知見から明らかになってきました。私たちは,人為的活動と地球環境との相互作用をそれほど意識せずに科学技術開発を続けてきたといっても過言ではないでしょう。人間のあらゆる活動を起源とする地球環境への影響の蓄積は,地球温暖化をはじめとする気候変動による様々な変化を介して人間社会へフィードバックします。この人為的活動と地球環境の相互作用を有するシステムの状態遷移が,今後どのような経緯をたどるかは未だ不明です。例えば,既に始まっているといわれる海洋中の植物プランクトンの進化は,二酸化炭素の取込み量を変化させており,海洋による二酸化炭素吸収総量を変化させ得ることが指摘されています。また,これまでの地球温暖化の速度を何らかの対策によって急速に遅くした場合,システムがダウンする挙動可能性が数理学的に示唆されています。つまり,私たちは未知の状態変化が起こりうるシステム上に生きているのです。

これらのことは,豊かな人間社会の継続的な発展には,対象とするシステムの個別問題のみの解決ではなく,対象システムを取り巻く環境との相互作用も念頭に置いた問題設定と解決が必要であることを示唆しています。問題の設定も,解決手法の選定も,これまでとは異なる発想と想像力が必要となるでしょう。AIなどの新しい技術の最大活用が望まれますが,あらゆる実データが圧倒的に不足している我が国の弱点を忘れてはなりません。その弱点克服をもふまえたうえで,計測し,識り,制御すべき今日的対象は,人間社会と有限な地球環境ひいては宇宙環境との相互作用を想定したシステムであり,その将来デザインを世界中の人々が求め,必要としています。

アズビルの実績が人間社会の基盤と地球環境をつなぐ強靭なパイプとなっていることは,多くの方々が認めるところでありましょう。その意味から,アズビルの事業は今後ますますその意義と重要性を増すことになり,まさに「出番」なのだと思います。アズビルの理念である「人を中心としたオートメーション」が,これからの世界と我が国の「人と地球環境システム」のありようを力強く牽引いただけるよう,ますますの発展に大きな期待を寄せています。

著者紹介:
東京工業大学大学院総合理工学研究科博士後期課程修了,工学博士。花王(株),英国ケンブリッジ大学,国立研究開発法人海洋研究開発機構地球情報基盤センター長,経営管理審議役,横浜研究所長を経て,2021年4月より現職。国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)未来社会創造事業「健全化する社会課題の解決」領域 領域統括,「富岳」成果創出加速プログラム 領域総括,日本電信電話株式会社(NTT)リサーチプロフェッサ。日本学術会議会員,日本学術会議連携会員,文部科学省 科学技術・学術審議会の多数の委員を歴任。計測自動制御学会会長,可視化情報学会会長,日本応用数理学会,日本流体力学会,日本応用数理学会等の理事を歴任。International Federation of Automatic Control(IFAC) Technical Board member,Asian Network on Climate Science and Technology (ANCST) International Steering Committee member,アメリカ国立科学財団(NSF) Electronic Proposal Review member等を歴任。海洋と大気の相互作用と地球環境予測,超大規模シミュレーションおよび超並列・高速計算法の技術開発,超大規模データ処理技術開発を専門としている。「水大循環と暮らしⅢ-持続可能な水大循環を実現する-」(丸善プラネット,2022年),「水大循環と暮らしⅡ-流域水循環と持続可能な都市-」(丸善プラネット,2019年),「水大循環と暮らし-21世紀の水環境を創る-」(丸善プラネット,2016年)など。

この記事は、技術報告書「azbil Technical Review」のに掲載されたものです。